UTMF 2019 備忘録(A7+α、130km程でfinish)
やっとたどり着いた100マイルレース、UTMF。
今回も色々と思うところがあったので、備忘記録を残しておきます。
〈出場まで〉
2017年のハセツネが終わった時点で、エントリーの資格は得ていたものの、そのハセツネで熱中症対策不足によりコースの80%近くを足を攣った状態で歩くという残念な結果に終わったため、2018年のUTMFエントリーは見送っていた。
2018年、ハセツネで十分対策をしたつもりが最後の10kmで力がつき、前年に引き続き残念な結果に終わったものの、これを逃したらもうチャンスがないと思い、2018年10月、思い切ってUTMFのエントリーをすることとなった。
しかし、夏から仕事で異動となったこともあり、2018年8月からは月間走行距離が200km程度になってしまい、2019年の1月、2月は月間100km程度しか走れない環境になってしまった。その上、2018年10月のハセツネ以来、山にすら入れず、3月が終わる。4月に入って山に行けなかったらUTMFの出場は諦めようと思ったが、やっとの思いで4月に2回、箱根外輪山へ行ったが、その2回の累積標高合計4,000m程度。単なる気休め程度だったが、この状態でUTMF出場することにした。
〈準備〉
装備は以下写真の通り。
よくわからなかったが、とりあえずレギュレーションで決められた装備+いつも持っていくもの。
GPS記録を残したかったので、GARMIN Fenix3Jの充電セットを持っていき、途中で充電した。通常モードでは16時間くらいしか持たないので、15時間くらいに1度充電。
A4で充電を開始し、走行中も充電。充電中、走っていてもGPSは捕捉していた。
ドロップバックは以下の通り。
毎度熱中症と空腹でレースを壊してしまうので、OS-1と、腹にたまる炭水化物、カレーメシ。やはりカレーメシは持って行って正解だった。
〈レース〉
・スタート〜W(0km〜16km、1時間32分)
スタートの朝から雨が降っていたものの、スタート前には止み、気温的にも寒くはなかったので、半袖でスタート。
若干抑え目だったものの、このフラットなパートで距離を稼ぎたい、と思い、自分のレベルの割には突っ込んだと思う。
コースは細かなアップダウンはあるものの、走りやすいコース。
あまりコースを頭に入れずにいたため、10キロくらいでエイドじゃ?と思っていたが、なかなかエイドに着かず、16km地点でウォーターエイド。500mlのペットボトルを渡され、みんなF-1のピットインの如く素早くこのウォーターエイドを通り過ぎた。
・W〜A1(16km〜23km、54分)
所謂?鉄塔エリア。ずっと走れる感じではないが、激しい登りや下りはない。前後の間隔も意識してしまい、ちょっとだけ頑張ってしまったと思う。
若干の渋滞もあったが、ほぼ想定通りのタイムでこの区間を終える。
この時点ではまだ身体には異常はない。
エイド滞在時間およそ5分。
・A1〜A2(23km〜51km、5時間28分)
このレースの最初の山場。エイドの間隔が最長。
この区間最初のピーク、天子ヶ岳。一気に700mの登り。まだ体力はあるので、キツイながらもなんとか登り切る。
ここら辺から少し左の腸腰筋が痛み始めるも、気になる程度だったので、なるべく気にせず走り続けた。
この先、この区間最後の熊森山に差し掛かる。
ここら辺で暗くなってきたため、ヘッドライトをつける。(下りから)
熊森山は精神的に疲れた。登りはほぼドロドロで思うように登れず、ロープを駆使しないと登れなかった。下りも同様にドロドロで、かつ勾配が急だったので、下るにも慎重にならなければならず、慎重に行っても何度も転んだり、すべり落ちたりした。ここで相当ドロドロになった。
それに加えて、付けていたヘッドライトの光が弱かった。原因不明だったが、ヘッドライトだけでは足元が全く見えなかったので、ハンドライトを使っての下山。片手がふさがれ、慎重に下ったため、疲れた。早くこの区間終われ、と何度も思った。
無事に下山が終わり、約9kmの下りのロード。
やっと走れるとの思いで、気持ちよく下る。5:30/kmくらいのペース。最後少ししんどくはなるも、何とか麓エイド到着。
テレビでも見ていたこのエイド。富士宮焼きそばを楽しみにしていた。量は少なかったが、美味しかった。
時刻は夜の20時。ここから本格的な夜に入っていくので、長袖のコンプレッションシャツを着てリスタート。
エイド滞在時間およそ16分。
・A2〜A3(51km〜66km、3時間17分)
正直あまり記憶にない。
竜ヶ岳がきつかったくらい。
本栖湖エイドもあまり記憶にない。
エイド滞在時間およそ13分。
・A3〜A4(66km〜78km、2時間59分)
ここもあまり記憶にないが、夜の1時ごろから睡魔が襲ってきた。意識が飛びそうな時は、座れそうなところでしゃがみこみ、1分程度の睡眠。それを何回か繰り返して、何とかエイドにたどり着く。
まだ半分もいってないが、ここでドロップバック受け取り。準備していたカレーメシを2パックを食らう。OS-1のゼリーを飲み込む。
眠くはなかったが、この先のことを考え、30分程あぐらをかいて仮眠。
身体が完全に冷え切ってしまったので、熱いコンソメスープを飲みながらリスタート。
エイド滞在時間およそ56分。
・A4〜A5(78km〜95km、3時間15分)
リスタート後は、お腹にごはんが溜まったこともあり、元気になった気分。
しかし、すぐに睡魔が襲う。平坦なロード。これが睡魔を助長した。起きてるのか寝てるのかわからない状態で進み、何人にも追い抜かれる。止まって寝る気にもならず、惰性で進む。
途中、自販機を見つけ、コーヒーを一杯。
紅葉台の登りは眠りながらだったが、30分程でコーヒーが効いてきて、目が覚める。
足和田山の下りは調子が戻り、飛ばしてしまった。結果、これがあまりよくなかったのではないかと思う。
エイド到着前、同じペースくらいのおっさんに声をかけたところ、勝負は杓子山からだから、それまでは足を残しておけと。それを言われた時はまだ足が残っていたので、そうなんか、くらいしか思ってなかった。
そして、無事勝山エイド到着。
エイド滞在時間およそ19分。
・A5〜A6(95km〜114km、3時間39分)
このエイドを出て1〜2km程度で、足の異変。
足というか、足の裏。連続的な衝撃でやられたのか、足をつくのが痛い。歩くのはいけるが、走って足をつくのが痛い。フラットで割と走りやすい区間なのに、走れない。
さっきのおっさんがいってたのはこのことか。下りは着地の衝撃が強いので、抑えていったほうがよかったらしい。足首より上の足は残っていたが、足首より下の足はもう残っていない。こんな状態であと60km以上走り切るのは難しいと思った。
富士急ハイランドを横目に見つつ、だらだらと歩き続ける。
止まって休み、騙し騙しで進み、何とか忍野エイドまでたどり着く。
この時足の裏は限界で、靴下を脱ぎ、バンテリンを塗り、バファリンを飲んで回復を願った。
この頃、雨は降っていなかったが、エイドでは他のランナーが「これからちょっと雨が降って、これがやめばもう降らない」と言っていたので、これを乗り切ろうと思い、レインジャケットを着て次へ進む。
エイド滞在時間およそ19分。
・A6〜A7(114km〜127km、2時間37分)
足は一向によくならず、この区間ほぼフラットだった前半をほぼ歩く。山に差し掛かるところから、雨が降り出す。この日は降ったり止んだりだったので、あまり気にはならなかった。
しかし、太平山を下山するあたりから雨が強くなる。だんだん、このまま雨が降り続けたら精神的にきついな、と思い始めた。
山中湖きららエイドにたどり着く頃にも雨は強くなり、雨はみぞれに変わり始めた。気温も相当下がっている。
エイド到着後、身体が冷えていたこともあり、あったかい豚汁をかきこむ。隣で天気予報を見ていた人の話曰く、あと6時間くらいはこの調子で止まないとのことだった。
このままエイドで休んでいても身体が冷えるだけだと思い、滞在時間を短くしてリスタート。この時、走っても身体が震えるほど冷え切っていた。
エイド滞在時間およそ10分。
・A7〜A8(127km〜140km、?分)
エイド出発後、全く身体が温まらない。沿道の人から大丈夫?と言われるほど、身体が冷え切っていた。
最初の山、明神山。みぞれはだんだんと雪に変わり、登山道がどんどん白くなってゆく。前方に人が2人ほどいたが、彼らも寒そう。
明神山山頂に到着。山頂にいたスタッフに大会が続行するかどうか聞いたが、連絡はない、とのこと。この時点で、雪は3cm程度は積もっていた。
ここからどんどん雪は強くなっていく。
エイド出発後、30分程度経ったものの、身体がガクガク。周りは雪景色に変わり、真っ白。コースの目印となる「UTMF」のテープが見えなくなってきた。
この先、夜までこの天気、この気温が続き、自分のコンディションも上がらない。
でも、ここまで来たからには、何としてでもFinisher's Vestが欲しい。もう一回出場しても、ここまで来れない。
でも、天候、自分の身体が危険すぎる。夜で視界が悪い中、この冷え切った体で二十曲まで行ったとしても、杓子山を越えられる気がしない。
悔しいけど、安全第一を考え引き返しを考える。
追って来たランナーと話したが、みんな上着はインナーにダウンやフリースを着込み、下はレインパンツ。寒くはないとのこと。
私は上は長袖にレインウェアだったものの、化繊のインナーはバッグの中。下は短パン。雨に濡れた足の上に、レインウェアを履く気にならなかった。張り付いて、走れないと思い、履こうとも思わなかった。
また、この先10km以上ある二十曲まで、エスケープルートはないらしい。
彼らの話を聞いた結果、リタイアを判断。悔しいけど、ここで私のUTMFは終了。
なんとしてでも今年完走したかった。けど安全に帰ることの方が大事。
引き返しながら、すれ違うランナーに声をかけ、安全第一を呼びかける。
引き返した後の明神山山頂は5cm以上は積もっていた。
下山中、すれ違うランナーに、山頂及びその先のコース状況を伝える。みんな頑張っていく様子だった。
途中、あるランナーから、大会が中止になったようだ、という声をかけられた。
この時、私の判断は正しかった、と思った。無理してそのまま突っ込んでも完走はできなかった。突っ込んでいたら、引き返しの距離が伸び、もっと危険な状態になっていたかもしれない。
そのままA7エイドに戻り、レースを終える。
私の初めての100マイルレース、UTMFは130km、27時間程度で終わった。
過去最低の練習量の割には、思ったよりコンディションは悪くなかった。
〈中止〜バス輸送まで〉
確か15時30分ごろにエイドに戻ったものの、エイドからバスが出たのは、18時を過ぎていた。
運営は緊急事態に対して、最善策を考えて動いていたと思うので、あまり批判をしたくはないが、これはまた身体が冷え切ってしまう要因の一つとなってしまった。
ストーブは1台しかなく、特定の人がずっと占領している状態。追加ストーブが出されたのは、中止決定後2時間程経過した後。毛布の配布はさらに30分以上後。
このような危険と隣り合わせのイベントを開くには、あらゆる局面において、最悪の状況を想定し、準備しておくべきである。
命より大事なものはないので、お金をかけてでも、対応策を準備しておいて欲しい。これがベストの準備だったのであればよいが、反省点もあったと思う。
〈反省点〉
・栄養面(よかった点)
あまり空腹感を感じることはなかったので、これはよかった点になると思う。
前々日くらいからカーボローディングを始め、スタート1時間前におにぎりを食べる。
スタート時点で2個おにぎりを持ち、ハードなピークを超えたところで食べた。
ドロップバックにも1個入れておいた。
また、ドロップバックにカレーメシを2個準備し、2個とも食べた。
このレースでジェルは6〜8個くらいしか取らなかったと思う。
栄養は人によって何が効くか、というのはあると思うが、私にとって、ジェルは単なる気休め。腹持ちのいい固形物、コメが一番。
また、気温が低かったものの、熱中症には注意し、OS-1 500mlを1本、250mlのゼリーを1つ。おにぎり同様、ハードなピークを超えたところで少しずつ飲む。熱中症対策タブレットも1時間に1つくらい取り続けた。
力が入らなくなることも多かったが、空腹感を感じることがあまりなかったのは、このレースの収穫。しかし、力が入らなくなることへの対策も大事である。
・足へのダメージ
私にとって足が残る残らないの定義は、足の筋肉、関節の痛みで足が動くか動かないか、ということだった。しかし、それは覆された。
今回一番きつかったのは、足の裏へのダメージ。おそらく、トレイル及びロードにおける下りでの足裏への衝撃。調子がいいときは思いっきり下り、衝撃を和らげることを考えていなかった。
100kmくらいのレースくらいではもっていたかもしれないが、100マイルとなると、足裏に限界がくる。しかも、これは和らぐことなはい。レース後、1週間程度経った後でも、足の筋肉痛は戻ってきたものの、まだ足裏がまだ痛い。
100マイルレールでは120kmくらいからが勝負で、この時点でどれだけ足が残っているかが重要らしいが、この時点で既に足は残っていなかった。このままレースが続行されていたら、ゴールはできなかったのではないかと思う。
実際、UTMFでは二十曲以降の杓子山からが勝負らしかったので、超えられなかったかもしれない。
勉強になった。足裏へのダメージ耐性を鍛えること、下りでの走り方を練習しなければならないと思った。
・寒さ対策
今までのレース、寒さを感じたことがなく、暑くなった時のことばかりを考えていた。
今回、寒さ対策としては、レギュレーションで定められた装備と、ダウンっぽい化繊ジャケットで臨んでいたが、不十分だった。
単純な気温低下という状況であれば対応できたかもしれないが、1桁の気温の中での大雨からのみぞれ、大雪。全く想定していなかった。自分が悪いが、いい勉強になった。
雨で濡れた足の上から防寒着を着るには乾いたタオルが必要だったが、タオルは雨で濡れていた。フリースの手袋もビショビショで、手袋をつけていた方が寒さを感じてしまった。雨で身体、装備が濡れてしまった時の対策を考えておく必要性を感じた。
〈全体を通して〉
練習量が少なすぎたということはさておき、今回は初めて経験することが多く、今後のレース出場に際して考えさせられることが多かった。
防寒防雨については、レギュレーションさえ満たしておけば、と思ったが、それが必要となった時のことまで想定していなかった。
その状況でも、ゴールよりも自分の安全を考えた行動ができたのはよかったと思う。
来年も当選すれば、出場したいと思う大会である。
不完全燃焼に終わったが、ゴールした時の達成感はこの上ないだろう。
目標36時間、あわよくば30時間、と考えていたのがバカらしい。それが達成できるような練習をして、来年は望みたい。
まずは、今年またハセツネに出て、今年こそは満足のいく結果を得たいと思う。